2016年3月16日水曜日

Think Big!で世界を変える!! 〜スサノヲ3期を終えて〜



「祭が終わった。」

100 人を超える聴衆の前でピッチをするデモデイを終えたあとの達成感、その二日後のプログラム閉講式での感動、そしてそれらを終えたあとのなんとも言えない寂寥感は、まさにその感覚だった。

はじめは''プログラム同期生''ということしか共通点のなかった17組のメンバーは、気づけば''戦友''とも呼べる大切な仲間になっていた。少なくとも僕はそう思っている。

2016年3月16日 SUASANOO3期デモデイ


これまで公に明かすことはなかったが、実は2年ほど前からMa-tourism(地域のお祭り体験ツーリズム)というものを構想し、仲間と動き始めていた。そして昨年10 月、Ma-tourismとして「SUSANOO」というETIC主催のプログラムに応募をし、無事採択をされた。それ以来毎週火曜日に、プログラム受講生としてメンタリングなどを受けさせてもらっていた。

Ma-tourism(マツリズム)
ソーシャルスタートアップ・アクセラレーションプログラム『SUSANOO』

SUSANOOが一体どんなプログラムかということについては、今回3期生として共にプログラムに参加した日本ふんどし協会会長の中川ケイジさんのブログやSUSANOOプロジェクトリーダーの渡邊賢太郎さんのブログがとてもよくまとまっているので、そちらをご覧いただきたい。


前置きが長くなってしまったが、先日、これまで温めてきた企画についてのお披露目とも呼べる舞台があり、8分間のプレゼンテーションを行った。それに向け、さまざまな方の協力を得ながら4ヶ月間準備をしてきた。
当日の会場には、古くからの友人や職場の同僚、家族も来てくれ、その存在は心強く、大きな力を与えてくれた。



しかし、この舞台にたどり着くまでには4ヶ月を遥かに超える月日がかかった。僕と関わったことのある人ならば、10年以上前から「祭り。祭り」と言っていたことをご存知であろう。大学を卒業して何年経っても同じことを語っていて、なぜか祭りに固執してしまう自分を憎んだことも、そういうものから遠ざけようとしたこともあった。でも、そうやって固執するのにも何か理由があって、ある種の長所なんじゃないかと思い始めることができたのは、祭りをより身近に感じるため品川区から墨田区に引越した2013年の年末頃からか。

浅草の河童橋筋商店街で、それを物欲しそうに見つめる自分に気づいた友人は、『クリスマスプレゼントや!』と言って「祭」と書かれた特大うちわをプレゼントしてくれた。

Ma-tourismというアイデアは、そんな環境に引越して2,3ヶ月も経たないうちに降りてきた。仲間に話し、さまざまな人たちとともに、少しづつ試行を重ねた。たくさんの笑顔に出逢うことができたと同時に、祭に関して様々な課題も知ることとなった。僕の人生は豊かになった。

それでも、そのことをなかなか公言はできなかった。臆病者だということに加え、祭りはあくまで遊びや趣味だという固定観念が強くあったから。



でも今は違う。「僕はこういう活動をしている」と堂々と話すことができる。
それは、SUSANOOという"キッカケ"があったから。

悩んでいた自分に「これ応募してみたらどうですか?」と強力に背中を押してくれた後輩。
「どうかなぁ?」と相談したら、「出そう!」と即OKしてくれ、締切前日に徹夜で共に書類を仕上げてくれたパートナー。
側から見れば呆れるほどの難しい課題に対し、明るく立ち向かっていくSUSANOO3期の仲間や先輩起業家の方々。
様々なヒアリングに付き合って頂いたお祭りの担い手の方々や、Ma-tourismにこれまで参加してくれたメンバー。
まさに"尽力"という言葉がしっくり来るほど、向き合ってくれた事務局の方々。
このチャレンジを全力で応援してくれた職場の仲間。
最後までプレゼン資料にアドバイスをくれた先輩、後輩。
そして、会場で一緒に盛り上げてくれた仲間たち。

本当に、ありがたい。
キッカケがあったからこそ生まれた会話がたくさんあった。


【デモデイ当日のプレゼンはこちら】


舞台に上がる前のピリピリした緊張感、コールに応えるかたちで応援してくれた仲間の顔を見たときの安堵感は今でも鮮明に覚えている。

まだまだ改善の余地はあるけれど、これが今の精一杯。

もし共感したらシェアしてもらえたら嬉しいし、感想やフィードバックなどがあればコメントやメール(anmojapan@gmail.com)をいただけるととてもありがたいです。


終わりは始まり。
祭りが終わった感覚に浸ったあとは、次の祭を目指して一歩踏み出す。
このご恩については、ひとつひとつの行動と成果で返していこう。

"Think Big!" 
SUSANOOで学んだこと、これだけは忘れないように。

そしてまた出会うべく新たな仲間とも、こんな最高の円陣が組めたら嬉しい。





「荒ぶる」ところ、
「あLOVEる」ところ、
  それが"SUSANOO"




2015年7月25日土曜日

「"夏"が来た!」秩父川瀬祭り(埼玉県秩父市)


風通しの良い家の二階の畳の上でうたた寝していると、どこからともなく聞こえてきた秩父屋台ばやしの太鼓の音で思わず目が覚める。今日が「祭り」だということをふと思い出す。

祭りの衣装に着替えて気持ちを整え、少しばかりの気合を入れる。今回曳かせてもらったのは、中町の笠鉾(かさぼこ)。色鮮やかなピンクの花びらと、細部まで施された彫刻はまさに芸術作品。そこに子供が乗り、「寳来(ほうらい)」という言葉を続けて発声する。地元秩父の小学六年生が主役で笠鉾に乗るのは昔は男子だけだったものが、数年前から女子もOKになったそう。



運行役と呼ばれる若手の頭が笠鉾の進行方向を見極め、準備が整ったと判断すると、じゃらんじゃらんと鐘を大きく響かせる。それをスタートの合図に、綱を引っ張って町の中を進んでいく。一見するとただ歩いているだけのようにも見えるが、初動の際のグイッと来る感覚は気持ちいいし、道を曲がるときの臨気応変な動きを求められる緊張感もたまらない。総じて、皆真剣そのもの。

綱の曳き手は、笠鉾に近いところから、大人の男・中高生男子・女性・子供と綺麗に分かれている。ちなみに休憩時も地元の男たちはその場を離れず、休憩するのは女性と子供のみ。運行役の他にも、様々な役職を地域の中核を担う男たちが担っている。



秩父で有名なのは日本三大夜祭と言われている秩父夜祭。夜祭も川瀬祭りもどちらも秩父神社のお祭りなのだが、地元では夜祭を「冬祭り」「大人の祭り」と呼び、一方秩父川瀬祭りを「夏祭り」「子供の祭り」とも表現する。両者で山車や笠鉾の大きさなどは異なるものの、共通しているのは秩父独特の太鼓と篠笛の音色「秩父屋台囃子」である。山車の車輪のすぐで上で激しいリズムをずっと叩いているのだが、敢えて隠して見せないようにするのがなんとも粋だ。

秩父川瀬祭に関しては、300年頃前に、疫病退散を目的に、京都の祇園祭りをもとに創られたと言われており、今でも「お祇園」という表現が残っている。各町ごとに山車や笠鉾のデザインも違い、すれ違うときなどに、太鼓の音色を合わせて互いに掛け合いをする様子は圧巻。



そして、夜には提灯がつき、幻想的な風景が広がる。



大迫力との花火ともコラボする。



川瀬祭りのもう一つのクライマックスはこちらの「神輿洗い」
今回は生で見ることはできなかったが、400キロのお神輿を担いだまま荒川に入っていく。今年はお祭りの2日ほど前に台風が来ていため、川も増水していたためかなり緊張感があったのではないかと思われる。



今回は2日間参加させてもらい、真夏の炎天下や夕立にも似た雨なども経験した。昼、ミンミンゼミが威勢よく鳴いていると思えば、気づくと夕方にはヒグラシの音が刹那を感じさせてくれる。小さかった頃の「夏」がありありと蘇ってくる。



P.S.
とあるご縁でお祭りゴミ拾いボランティアもさせていただくことになった。これを通していろいろな問題点も沸き上がってきたが、歩くことで街を知り、地元の中高生の甘酸っぱいやり取りを観察し、お祭りに来てる方々とのコミュニケーションもでき、とても良い機会となった。



激しさ、美しさ、神秘さ、荘厳さといろいろなものが凝縮された真夏の祭典、秩父川瀬祭り。来年7月19日、20日は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。




2015年6月30日火曜日

幸せを運ぶ『獅子』高木神社例大祭(東京都墨田区)


全長10メートルを超える獅子が、クネクネと器用に身をこなしながら、下町の路地裏を駆け巡る。地域の家々を訪ねて、ときには家の中まで入り込んでいく。この機会をずっと待っていたとばかりに涙を流してそれを迎える高齢者の方々や、大迫力の獅子が近づくと泣きわめく子どもたち。
なんとも形容し難い、とても独自性のあるこのお祭りに参加する一番の楽しみは、人々の「生活」そのものに入り込んでいけることではなかろうか。


獅子頭の重さは20kg弱と言われ、これを二人で持ち、非常に日本的な足の運びで摺り足で進んでいく。獅子が地を這っているように見えるといいのだそうだ。
獅子の身体の部分をかたちづくる深緑色の布の縁をみなで持ち、バタバタと揺らすことで、まるで生きている獅子かのように見えてくる。興味深いのは、大部分、近所の子どもたちがその役を果たしているということだ。どこからともなく子どもたちが集まってきては、去っていく。不思議な感覚に陥る。


獅子はオスとメスそれぞれ二体おり、場所場所で向き合った際にそれぞれが近づいていき、周りが声を上げて、互いの息を合わせて獅子頭をグッと持ち上げ、交差する。これがいわゆる『合わせ』と言われるもの。この度に、気持ちが高ぶる。


お昼ご飯には、手作りの豚汁と、熱々のメンチカツをいただく。「近くの肉屋さんのメンチカツ」は、とてもジューシーで、温かみがある。この感覚はなんだろう。



今回は三年に一度の高木神社の「大祭」だったこともあり、獅子が終了した次の日には、(普段は出ない)御神輿がでることになった。最高の青空の下、「オイサー、オイサー」の掛け声に合わせて神輿を担いでいく。とても立派なお神輿で、重量もかなりあるだろう。やはり下町のお神輿。江戸っ子の粋な感じで盛り上がるし、普段なら気になるであろう多少の口の悪さも、必要な要素に思えてしまう。


やはり神輿はおもしろい。担ぎ手の息が合ったときのあの一体感は何ともいえないものがある。



そして圧巻は宮入り。高木神社の鳥居をくぐると、これ以上ないくらいに人が密着して、何度も行ったり来たりを繰り返す。ようやく最終的に差せたときは達成感と安堵感に包まれた。



今回このお祭りを通して感じたのは、地域の魅力。そして人の魅力だ。
祭の舞台は墨田区の京島地区の一部で、墨田区内でも空襲で焼けなかった数少ない地域だったということもあり、昔の道が残っており、狭い路地がくねくねと通っている。最寄りの曳舟駅前などはマンションも増えているが、平屋の一軒家も多く、自営のお店も多かった。獅子を持って家に入り込んでいくことなどもあり、文字通り「生活を覗く」ことができた。そこにあるおじいちゃんおばあちゃんの顔、そして湧いてくるこどもたちの存在が、生きていることを強く実感させてくれた気がする。人情味のある町。


今回は、旧寺島四丁目という地区の「四丁目睦(よんむつ)」を紹介してもらい、参加させてもらった。お祭りの前にも、お祭りの創り手の方にお話を聞かせていただいた。自分たちの地域とお祭りに対する愛に溢れた方たちで、外者を気さくに受け入れていただいたことに本当に感謝をしている。この方たちがいなかったら、こんなに安心して楽しめなかっただろう。

来年の6月1週目の土日は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
よんむつホームページはこちら(http://naruhi86.wix.com/mutsumi-04

2015年5月9日土曜日

「跳ぶぞ、跳ぶぞ!」松原神社例大祭(神奈川県小田原市)

「よし。跳ぶぞ!跳ぶぞ!」

その掛け声を聴いて提灯を持った二人が前に走ると、神輿の前にスペースができあがる。
それは「走る」ことを意味するGOサインだ。

直立不動の状態で木遣りを聞き、声を合わせる。声が揃って、大きさが増幅する。
まわりの気配をじっと感じながら、タイミングを測って、一気に走りだす。
担いだ神輿がブレないよう、腕を使って肩にぐっと近づけて走る。
そして、止まる。止まり、切れない。
ようやく静止すると、身体の弛緩とともに、笑みが溢れる。





申し訳ないけれど、正直、ここまで楽しいお祭りだなんて想像していなかった。

2月の終わりに参加した地元の友人の結婚式二次会で久々に会った高校の友人から、「5月に小田原でお祭りやるから来なよ」と誘われたのがきっかけ。4月のある日、ぱっとそのことを思い出し、彼とやりとりを重ね、このお祭りに参加させてもらうことになった。

当日。10時に会場に集合し、着替えを済ませる。
午前中は主に寄付を頂けたお店や家に対して、木遣りをあげ、神輿を担いで突っ込む動作を繰り返す(いわゆる、神輿を「差す」)。

この動作をするとき以外は「わっしょい、わっしょい」と神輿を揺らすわけでもなく、ただ肩の上に載せて運んでいた。わりと静かで大人しいお祭りなのかな、というのが最初の感想だった。

それがお昼になり大通りに出てから、その印象は一変した。
冒頭の「跳ぶぞ」の合図とともに、神輿を担いでダッシュをし始めたのだ。
※「跳ぶ」は小田原の方言で、走るという意

慣れ親しんだ小田原駅の周辺を、神輿を担いで何度もダッシュしてヘトヘトになったり、
クライマックスに向けて各町会の神輿が集まってきた際には、隣の神輿と連結してダッシュ。多い時には、3つの神輿との連結ダッシュ。

転けたらヤバイという緊張感と、神輿を担ぎながら走るという高揚感の効果で、アドレナリンが出てくる出てくる。「爽快」という言葉がピッタリ。

勿論、魅力はそれだけではない。
一件一件小田原の町中のお店を回っていく中で、「(昔はなかった)こんなお店があったのか」「やはり小田原は練り物の町なんだな」など、地元として知っていたはずの場所に対する新たな発見があったし、小田原に昔から住んでいる人たちとの何気ない交流も、やはり心温まるものがあった。(自分は地元を出た人間だから、余計)

最後に、今でも鮮明に残っているシーンがある。いわゆる「宮入り」だ。

日暮れの時刻を過ぎ、自分たちのお神輿の宮入りの順番をじっと待ち、その時は来た。
沿道の両側には赤い提灯が連なる屋台が構えており、太鼓の音が聞こえる。

合図があり、今までにないほど長い距離を神輿を担いで駆け抜ける。そして、交差路を直角に曲がる。ググっと重力を感じつつも体勢を立てなおして鳥居を目の前にすると、そこには大勢の観衆が待ち構えていた。その中を、文字通り、疾走した。

『このときのために一年間やってるようなもんだもんね』と担ぎ手の一人がつぶやいていた通り、それはまさに「感動」の瞬間。

神事であることは承知しているけれど、こんなエンターテイメント、なかなか味わえないと思う。


今回参加させてもらったメンバー

2014年11月24日月曜日

前夜祭

いよいよ明日、浅草にて、所属する和太鼓チーム『前夜祭』の初舞台がある。

しかし残念ながら今週半ばから風邪を引いてしまい、土曜日に少し和太鼓の練習をした以外休んでいたため、ほとんど身体は動かしていない。全然眠くならないので、気持ちだけでも上げておこうと筆を取ることにした。

浅草に引っ越してきてもうすぐ一年となるこの冬、まさかここで太鼓の演奏ができるなんて考えもしなかった。
去年の今頃は、このチームさえ存在しなかったのだから。


「太鼓をやってみたい!」と思ったのは、約5年前の夏。日本三大祭と言われる『天神祭』を大阪で見ていたとき。
それはそれは素敵な祭で、特に、きらびやかな外装をまとった船が川の上を行き交う姿は圧巻。そしてそれぞれの船の上では、祭を盛り上げるため様々なパフォーマンスが繰り広げられていた。
何隻か通り過ぎる船を見ていて、ある法則に気づいた。船上の人たちは一見自由に動いているように見えて、船の後ろに太鼓が置いてある「どーん」という音に合わせて、一気に動きを変えていることに気づいた。
そのとき、直感的に思った。「あのポジションいいな!」と。
成功・失敗、どんな人生になるか分からないけど、50歳くらいであのポジションで太鼓を叩いていられるようであれば、いい人生なんだろうと。



その後、ずっと興味はあったもののきっかけを掴めず、和太鼓を本格的に始めたのはそれから二年後くらい。前職での松本転勤がきっかけだった。
松本という地には、会社の人以外の知り合いが皆無だった。このままでは休みも楽しめないということで、どうしようかと、直感的に「和太鼓 松本」と調べたら、一番上に出てきた団体のホームページに『初心者募集』と書いてあったのがきっかけで、地元の高校生から年配の方までが集まって活動する和太鼓チームに入れてもらうことになった。
<和太鼓鳴桜(なを)http://wadaiko-nawo.chu.jp/
そこで本格的に練習を開始し、とても幸運なことに、半年後には初心者ながら「松本城太鼓祭」の舞台に立たせてもらうことができた。このときは、必死で必死で、最後はバチも飛んでいっちゃうし、立っているのがやっとだったほど。でも本当にいい経験、そしていい仲間に巡り会えたと思う。



しかし松本を結局一年足らずで離れることになってしまい、その後東京に戻って来てからもしばらくは和太鼓なんていう余裕もなかった。
そんな去年の暮れ、昔松本で一緒に太鼓をやっていたメンバーから「今東京で働いているので、また和太鼓やりませんか?」とメールがあった。はじめは週末にスタジオに出向いて二人で太鼓を叩き、懐かしさを感じていた。そんな中、もう一人松本の同じ団体にて以前太鼓をしていたという人も加わり、メンバーは三名に増えた。

そして、今年の1月「和太鼓チームをつくろう!」という話になり、『前夜祭』が生まれた。
<和太鼓チーム「前夜祭」:http://zenyasai.webcrow.jp/

前夜祭...その名の如く。祭の前の高揚感、ワクワク感。高校生的発想。

今ではメンバーの数も増え、今回の舞台では5人で演奏を行う。
まだ一年足らずとは思えない。それだけ、和太鼓のある生活が染み付いている。非日常だった和太鼓は、日常の僕の身体の中に活きている。そういっても嘘じゃないくらい、その鼓動を、グルーヴを、自分自身の中に感じるのだ。これがないのが想像できないくらい、自分を構成するものの一つになった。

アゲイン。一年前、まさかここで太鼓の演奏ができるなんて考えもしなかった。
去年の今頃は、このチームさえ存在しなかったのだから。

今こうして、縁があった仲間と一緒に舞台に上がれることに感謝をしつつ、
今出来る精一杯のものを出そうと。

気合入れていきます!




2014年9月21日日曜日

「祭」を通した、住人としての小さな幸せ

18歳で地元を出て一人暮らしを始めてから、早10年以上が経つのだけれど、昨日、初めてでとても嬉しい出来事があった。

同じ地区の住人の方に「大原さん!」と笑顔で声を掛けられたのだ。

僕が住んでいるマンションを出て、走って道路を横切った瞬間、後ろから大きな呼びかける声が聞こえた。

「横断歩道ちゃんと渡れよ、このやろー!」的な感じなのかと思い、びくびくながら振り返ると、同じ地区に住んでいる人が手を振ってくれて僕の名前を呼んでくれていたのだ。
少しほっとして、「あ~、どうもー!!」と言って、僕は駅に向かって走っていった。

たかが5秒のやり取り。しかしそのやり取りで、なぜだか心がほんわか満たされた。僕と僕と認識して、声を掛けてくれたことが、とても嬉しかった。


きっかけはこちらのビラです↑

              
っかけの話。
8月のある日、このビラがマンションの入り口に貼ってあることに気付いた。
「地元のお祭りに携われるものなら携わってみたい」と東京に越してきてから長年思ってきたけれど、一度もそういうチャンスがなく過ごしてきた自分からすると、「ついに来た!!」という感じ。
担当の方に電話をすると、「何人か連れてきてもいいよ」ということだったので、先週日曜日に、友人4人と一緒に、地元の連の人たちと神輿を担いできました。

そのとき一緒いた地域の住人の方が、昨日挨拶をしてくれた方なのです。

ある地域に住んでいても、そこの地域と全く関わりなく日常を過ごしている、そのことに対する違和感。
「でもこれが都会的な生活ってもんなんかな~」とあきらめかけていたところに見えた希望。

祭がきっかけとなって、下町での自分の生活が少しずつ豊かになりそうだ。

2014年9月7日日曜日

人生で初めて「神輿」を担ぎました!



31年間生きてきて、ついに、神輿を担ぎました!!
(といっても、僕のことを知っている人には、あまり驚かれないかもしれません)
今まで神輿を担いだことがなかったのが、自分でも嘘のようなのですが、ほんとです。
機会が無かったのです。

大学生の頃、就職活動のために自己分析というものをしました。
自分の過去にさかのぼって、したいこと、得意なことなどを掘り下げていくというもの。
幼少期の夢については覚えていなかったので、実家に帰って「一番小さかった頃の自分の夢」について、母親に聞いてみました。
すると、このようなことを答えていたようです。

「僕、大人になったら、おみこし屋さんになりたい!!」

それを聞いた母親は少し困った顔をして「おみこし屋さんは職業じゃないのよ、、」と答え、僕はがっかりとした顔をしていたそうな。

大学生の僕は、なぜ「おみこし屋さん」なのか、少し分析してみました。
当時、地元(神奈川県南足柄市)の夏祭りにて、神輿がワサワサと揺れながら動いて行くことで、それを中心に、観ている周りのひとがパッと笑顔になり、自然と繋がっていく、その様に憧れたのだろうと。同様に、花火にもものすごく強い憧れがあります。

「おみこし屋さん」というと、神輿の担ぎ手や神輿の作り手を想像しますが、おそらくそうではなく、僕の関心は神輿それ自体だったと思うのです。

以来、特に意識せずに、気づくと神輿っぽいことを求め続けていました。
振返ってみると、大学の卒論で「円陣」について研究したのもそう、「ピストン」という全身での動きもそう。中心部分にエネルギーや視線が集まって、気づくとまわりの皆が『つながった感覚』つまり『一体感』を憶えている、そういう瞬間をつくっていくことが無常の喜びなのだと。

しかし、ほんものの神輿それ自体に触れる機会がなかった。神輿含め、祭にもっと触れるため、浅草に越して半年を過ぎ、とある友人の計らいで、facebookで「神輿担ぎませんか」の招待が来た!「おおっ」と反応し、参加させてもらったのが、今回のお祭り(亀戸神社大祭)だ。


今回入れてもらったメンバー

終わった後は汗だくだく。とても楽しかった!!
特に声を合わせて、動きを合わせたときに感じる一体感と高揚感はヤバかったな〜。

が、まだ一度だけしか担いでいないので、まだまだ全然奥深いとこまで行けてないんだと思う。
ここからだな☆

この機会をくれた友人の喜谷武くんと主催者の細田くんに心から感謝です。